がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

好きなフルーツあるいはくだもの

月に一度くらい行く薬局の薬剤師さんが私の顔を見ると毎回のように「フルーツの摂り過ぎはダメです」と言う。「なんでフルーツが好きだとわかったんですか」と聞くと、「見るからにフルーツが好きそうですから」。「フルーツは身体にいいと思っているかもしれませんが、今のフルーツは糖度がものすごく高いです。一日自分の握りこぶしくらいを限度にしてください」と言う。握りこぶし一つでは、スイカなんて食べきれない。こういう会話も、指導料として加算されてるんだろうなと思うのだが、この薬剤師さんはあくまでもプライベートでと言いながらマスク不足の時には不織布のマスクを一箱くれたのだった。

 

子供のころはスイカが大好きだった。食べすぎて腹をこわしたことも度々ある。
親の世代はみんなスイカを丸ごと買うときは叩いて選んでいた。どういう音がしたら美味いのかという説明は聞いたことがないから、叩いてわかるものではなかったのだろう。今は叩いたら怒られるような気がする。
私が小学生のころは塩を振って食べていた。減塩がうたわれだしてから塩は振らなくなった。そもそもテーブルに塩を置かなくなった。
子どものころに食べたスイカは今のものよりもシャリシャリした食感だった。今は品種改良が進んだ結果なのかシャリ感が減った気がする。食感は少々キュウリに近ついた感じがする。
家族で大きなスイカを丸ごと買っていたときと違い、今は小玉スイカを買うので、品種の違いなのかもしれないと思って、先日大きなスイカを買ったのだが、シャリ感は乏しかった。
品種改良ではなくて、昔は熟れる前のものも混じっていて、それがシャリ感が強かったのかもしれない。甘味は少なく外側の白い部分がぶ厚いスイカも多かったように思う。今は計測技術の進歩でみな熟してから出荷しているということもあるのかもしれない。
たまに昔のシャリシャリしたスイカが食べたくなるのだが。

イカは果物か野菜かという問題があり、私の子供のころは野菜だということになっていたようだが、じゃあ近縁のメロンも野菜なのか、メロンはフルーツの女王じゃないのか、ということもあり、今はどっちでもいいということになっている。というかそんなことで喧々諤々していたのがばからしい。パンダは熊なのか猫なのかという論争もあったが、それは中国語の「大熊猫」という字面に引っ張られてのことだったのだろう。近年パンダは熊の仲間ということで落ち着いている。

 

メロンも好物だった。私は幼いころ病院通いをしていて、痛い検査に辛い思いをしていたのだが、駅前のケーキ屋で母に好きなケーキを買ってもらうことは楽しみだった。メロンの切れ端が乗ったケーキがあり、その色のきれいさに惹かれていたのだが、そのケーキは他のものより値段が張っていて、買ってもらえなかった。そのうち大きな手術をすることになり、退院したらメロンのケーキを買ってもらえることになった。
手術は成功して無事退院した。ところがそのメロンのケーキを買ってもらった記憶がない。私が食べたことを忘れたのか、母が約束を忘れていたのか、今となってはわからない。退院して家に着いて寿司をとった記憶はある。
そういえば手術後声が出せるようになった時、看護婦に何が飲みたいか聞かれ、メロンサワーをたのんだ。今はあまり見ないが、当時スーパーで売っていた乳酸飲料である。母が買ってきたが、まだ面会はできないから差し入れたのだろう。ところが別の看護婦さんが勘違いをしたようでそのメロンサワーを私の目の前で飲んでしまった。そんな記憶は鮮明である。

 

小学生のころ近所の八百屋さんは、ボロボロのトタンを貼り合わせたような店だった。八百屋というのは利益が出にくいのか、なぜか粗末な造りの店が多い印象だ。
その近所の店は安くて、気さくなオヤジがやっていて、人気があった。正確に言うと奥様方に人気だった。
その八百屋のオヤジは、「奥さん、美人だねー。サービスしておくよ」とかは当たり前のように言い、さらには「奥さんボインだねえ。のボインと同じくらいの重さのスイカ選んであげるよ」とか、「ご主人にヤマイモを食べさせて、夜の営み頑張ってもらわないと」とか言いだすので、母は嫌悪感を抱いて寄り付かなくなった。でもそういうノリが好きな人もいてけっこう賑わっていた。昭和の話である。今だったらセクハラとして問題にされるであろう。

 

小学校高学年からしばらく住んでいた家には庭があり、いちじくの木が植わっていた。一本だけだったが、夏になるとゴロゴロと実をつけ、食べ放題状態だった。いちじくは表皮に細かい毛が生えていて、手で割って食べるとなるとどうしても表皮が舌に触れ、一つくらいなら何ということもないが、いくつも食べると細かい毛によって舌がやられヒリヒリしてしまう。母はジャムにもしていたが、皮をむかずに作っていたようで、やはり舌がヒリヒリした。たぶん、表面の毛のせいばかりではなく、白い液にも舌をヒリヒリさせる成分が含まれているのだろう。そんなことで私はあるときからいちじくを好んでは食べなくなった。
引っ越していちじくの木がなくなってからは本当にいちじくを食べていなかったが、買ってまで食べるようになったのは最近、4年くらい前からのことである。一年に数回、少し食べればたいへん美味しい。
いちじくには春に小さな実をつけるものもあるそうだが、家のいちじくが春果をつけていたかどうかは定かでない。聖書に春のいちじくが「神の好物」とされているのは、人が食すには適していないという意味もあるのだろう。
子供のころ、「あなたがたは春のいちじくをよくご覧なさい」という聖書のくだりを語っていた神父さんはお付き合いはなくなったが、今もご健在だ。「先生の仰ったとおり、私は今、春のいちじくをよく見ています」とご報告したいと思うこともある(しない)。

 

舌がヒリヒリする果物といえばパイナップルだ。肉料理に使うと肉が柔らかくなるというから、舌がヒリヒリするのは当然だろう。パイナップルも一度に大量に食べるものではない。パイナップルとバナナは、昔は高級フルーツだったようで、看板建築など戦前の建物の装飾に、パイナップルとバナナが使われているのを時々見る。バナナなど今は安価で、「フルーツ」というよりは「果物」だ。

 

ぶどうで一番庶民的なのはデラウェアである。略して「デラ」だが、デラックスという雰囲気ではない。子供のころから食べ慣れているせいで風味が和風に感じているがアメリカ原産だ。
私はポッカのぶどうの粒が入ったジュースが好きで、高校の帰りなど自販機で買って飲んでいた。ほとんどのみ干してから、ズッ、ズッと啜るとズルッと一粒出てくる感触が良かった。勢いよくズルッと出てきてブゴッとむせて鼻から出てくることもあった。いま、そのぶどうジュースは無い。違うメーカーから「白ぶどう入り」の果実入りぶどうジュースが出ているがだいぶ違うようである。あの頃の缶の飲み口が狭かったのもあったのだろう。今、タピオカブームだが、ストローを通ってズルッと出てくる感覚はあれに近い。
私はぶどうではさわやかなマスカットが好きだ。白緑色の外見も美しい。みずみずしい巨峰も良い。中学の修学旅行で夕食のデザートに巨峰が出てきた。あれは美味しかった。私がよほどうまそうに食べていたのか、旅館の人がお代わりをくれた。今となっては、巨峰は風味が濃すぎてしつこさを感じてしまうことがある。