がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

クラシックの客もいろいろ

コロナ禍でオーケストラの公演がなくなって久しい。室内楽のようなものならステージ上で距離をとって少しずつ始めているようだが、大編成のオーケストラを生で聞ける日は果たしていつになるのだろうか。マーラーの2番など合唱団も加わるものは最も難しいだろう。今年は年末に第九が聴けないだろう。特にドイツ語は唾が飛ぶ。むしろ唾を飛ばせと指導されてきているのだ。オペラも無理そうだ。ステージは演出でコロナに対応できても、オーケストラピットが大変な密度だ。徹底的にアクリル板で仕切れば響きが悪くなるだろうし。
コロナ以前から主に木管奏者の中にはステージにアクリル板を立てていることがある。先見の明があった、というわけではなく、後ろから鳴らされる金管・打楽器から耳を守るためである。

ストリップ通いする前私は、クラシックのコンサートに頻繁に行っていた。頻繁といっても月に平均二、三回程度だったが。去年は一度しか行かなかった。
学生のころは親が招待券を貰ってきてくれていたので、あまり興味のない時代の音楽も聴いていた。招待券が貰えなくなると、自分でチケットを取って行くようになったのだが、聞きに行くプログラムに大きな偏りが生じるようになった。マーラーショスタコーヴィチの巨大な交響曲が大好きで、同じ曲に何度も足を運んでいた。一方CDはブラームスチャイコフスキーラフマニノフあたりもけっこうな数を持っている(みんな後期ロマン派以降だ)。生演奏で大編成を好むのは、録音には入りきらない音があるからであるのと、せっかく生で聞くからには大勢舞台に乗っていた方が得した気分であるという貧乏性のような気持ちも少しあった。

ストリップではマナーの悪いお客さんに悩まされることも多いが、クラシックにもマナーの悪いお客さんはいる。
大編成の交響曲でも繊細な弱音が続くことは多い。さすがにレジ袋をカサカサさせて酒を飲んだり弁当を食べるような者はいないが、息も凍るようなピアニッシモの最中には飴の包み紙を開ける音なども気になる。さっと出してポンと口に入れてしまえば一瞬なのに、気を使っているのか少しずつ少しずつ、ミシッ…ミシッ…と長時間かけて飴の包装を開けるのでよけいに気になってしまうこともある。ヘタすると飴一つなめるのにアダージョ楽章丸ごと費やしてしまう人もいる。
飴をなめたくなるのは咳を防ぐためだ。咳は生理現象だから仕方がない。体調が万全だと思っていても出てしまうこともある。風邪の流行時期などすごいもので、絶え間なく客席のあちこちで咳が聞こえることもある。とはいえコロナ禍の下では、咳が出ることが予想される体調ならキャンセルするべきだろう。
ずっとうちわや扇子を扇いでいる人も気になる。席に着いたばかりの時は体も熱いだろうから扇ぐのはわかる。空調が効いているホールなのにずっと扇いでいる人には参る。扇ぐ動作が手癖になってしまっているのだろう。視界の隅にひらひらと白いものが反復動作動しているのは気が散る。同じく、指揮に合わせて手を動かす人も気になる。指揮の真似事をしている人もたまに見かける。初めは胸の前で手首から先を近く動かしていても、エキサイトしてくると振りが大きくなり背もたれを揺らす。そういう人は家でCDをかけて箸でも振っていればよい。
あまり迷惑に感じないが私が気になるのは、熱心にプログラム(冊子)の楽団員紹介をチェックしている人である。老眼鏡を上げ下げしながら、プログラムの名前とステージの人物をこまめに見比べている。念入りに指差し確認までして、名前と顔が一致すると、さも納得したかのようにウンウンと頷く。このタイプの人は演劇や、香盤表をくれるストリップ劇場にもいるが、大編成のオーケストラは人数が膨大なだけに大変であろう。何のためだか分からないが、ご苦労な作業である。
二千人クラスのホールにおいては拍手の音量など気にならなそうなものだが、たまにスバ抜けてデカい爆音拍手をする者がいる。手のひらに仕込んだ紙火薬を炸裂させているのではないかと疑うくらいだ。そんな人がすぐ後ろにいると耳がおかしくなる。コンサートの終わりか、休憩の前ならばまだいいのである。耳がキーンとしたところで、すぐに次の繊細な始まり方をする曲が始まってごらんなさい、ろくに聴こえないから。こうなると自らをベートーヴェンの苦悩になぞらえて耐えしのぶしかない。
フライング拍手およびフライングブラボーは誰しも気になるところであろう。クラシックにはひねくれた曲も多いから、知らない曲で終わったと思って拍手をするのは危険だ。
曲が終わったとしても、余韻を切り裂くような無粋な拍手もやめてほしい。指揮者が腕を下ろすまでは曲なんだ。特にシリアスかつ静かに終わるマーラーの9番、ショスタコーヴィチの多くの交響曲。拍手が早すぎる人は「ようし、俺が一番乗りだ!」という気持ちなのだろうか。それとも早く終わってほしかったのか。「はい、終わりだ終わりだ!撤収ー!」ということなのか。よほどトイレ我慢してたのか。フライングブラボーはなお悪い。「ブラ…」と叫びかけて早まったと思ってひっこめちゃう人、ブラってなんだ、ブラジャーか。
終演後、周りに客がいる所で「今日の演奏はつまらなかったなー」などとデカい声で言うのもマナーが悪い。その演奏に感動している者もいるかもしれないし、ファンや関係者だっているのだ。

初心者がマナーが悪いのならまあしょうがないなと思うのだが、分かっているはずの常連さんだと、腹立たしさもひときわ大きくなるものだ。
有名な常連客に「サスペンダー氏」または「サスペンダーおじさん」と呼ばれている老人がいる。私がサスペンダー氏を意識し始めたのは20年ほど前だったが、そのころから老人という印象だった。
コンサートの演奏開始までの順序は、時間までに客が着席する、ステージにオーケストラが揃い音合わせをする、指揮者・ソリストが登場する、拍手する、演奏が始まる、というのが流れだ。
ところがある日、指揮者・ソリストが登場して拍手しているさ中に、サスペンダーが印象的な老人が悠然とステージ前を横切って最前列の真ん中の席にどっしりと座った。客はあたかも彼の登場に対して拍手をしているようにも思えたし、指揮者は彼の着席を待って演奏が始めたようにも思えた。初めはその堂々たる態度に相当偉い関係者なのかと思った。例えばコンサートの主催やスポンサー、大新聞社の社主だとか…という想像もした。
それから続けて二、三回、氏のふるまいを目にし、また周りの人のうわさで、彼はサスペンダー氏と呼ばれている迷惑客なのだとわかった。いつもギリギリ(時にはもう完全にアウトなタイミング)に入ってきて、最前列の中央に座る。皇室の方が聴きに来られる場合は一般客が席に着いてから入ってくるのだが、氏は皇室の方よりもあとから、しかも悠然と入ってくるのだ。
氏はいつも大きな黒いリュックサックを持ち込んでいた。最前列なのでステージ直下に置いていた。多くのホールではクロークに無料で荷物を預けられるのに。そのような氏の後ろ姿を見るのも不愉快なのに嫌でも目に入る位置にいるので、いい演奏であっても感興を削がれてしまう。
ストリップとは違って、クラシックとりわけオーケストラによる公演では最前列は決して良い席ではない。音響は3階席の方がよほど良い。観るということに関しても良い席ではない。ステージ奥の楽器はほとんど見えないのだ。よほどお気に入りの指揮者かソリストがお目当てなら最前列もいいかもしれないが、氏は都内で行われるコンサートには無節操に出没するので、とくにお気に入りがいるわけでもなさそうだ。
なぜ氏は毎回ギリギリに入ってきて、最前列中央に座るのだろうか。ギリギリチャレンジゲームでスリルを味わっているのだろうか。私には、自己顕示欲のためだと思う。会場の全客、全演奏者の視線を受けて入場することにこだわっているのだろう。
長年そのように思っていたが、最近ネットで氏に関する記述を目にしたところ、どうやらギリギリに入ってくる理由は違うらしい。氏は最前列のチケットは持っていないという説がある。モギリを通過するためにチケットは持っているが、それは後方の安い席のものなのかもしれない。演奏開始ギリギリに入ってくるのは、その時点では本来の最前列の客が来る可能性がほぼ無いことと、スタッフがチケットを確認するために声をかける時間が無いことを考えての行動なのであろう。そして時々スタッフと揉めていることもわかった。

休憩時間中にロビーで氏を至近距離で見かけたことがある。私はふだん1階席には座らないので遠目ではわからなかったが、近くで見る氏は社主どころか、どうやって連日のチケット代を捻出しているのか不思議になるような身なりであった。素足にサンダル履きで、おそらくは家からタッパーに詰め込んできた白米をかき込んでいた。その姿は明らかに場違いであった。なぜ華やかで人目につくロビーでそんなものを食わねばならないのか。せいぜい2時間の公演である。公演の前か後に外で食えばいいのではないか。その行動は理解できないが、背中を丸めて白米を食らう氏の背中に哀愁を感じでしまった。
私がクラシックから足が遠のいてもサスペンダー氏は通い続けているようで、時々テレビの音楽番組に写り込んでいる。