がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

戦後74年の夏に思うこと

母は戦後生まれだが、夏になると戦争の話をよくする。
母がこどものころ、近くで花火大会が始まると飼っていた老犬が怖がって腰を抜かし、ヒィンヒィンと言いながら縁の下に隠れて、ドンというたびにヒィーンと言って震えてかわいそうだったという。「ペリーちゃん(犬の名)は戦争を経験したから、花火の音が爆弾の音に聞こえていたんだろう」と言った。

母の実家は東京の郊外にあり、焼失はしなかったものの屋根を突き破って座敷に焼夷弾が落ちてきて火をふいたり、近くに陸軍があったためにすぐ近くの道路に爆弾が落ちて大きな穴があいたりしたそうである。

 

私が子供のころ、戦後40年とか50年くらいだったが、兵隊に行った世代が元気で、お盆などで親類縁者が集まると戦争の話をしていた。近所で一緒の隊に入ったらしく、大陸に派遣されていたらしい。大きくて四角いクッキーの缶を開けると、隊の皆で撮った記念写真や、勲章などがでてきて、おじさんたちが間の周りに集まり、懐かしそうに話しだすのである。酒が入り、声が大きくなり、大きな身振りで「ババババ」「ズドドドド」と戦闘の様子を擬音多めで話す様はとても楽しそうだった。血湧き肉躍るという感じで興奮していた。敬礼を交わしたり、軍歌を歌ったりしていた。子どもの私はそんなおじさんたちが怖かった。今でいうと中年のオタクがガンダムの話に興じているのと変わらないテンションだった。
30年くらい前まではこんな光景は当たり前だったのではないだろうか。
親類の名誉のために言っておくと、普段は温和な人たちで学者や教員が多く、選挙では革新の側に票を投じていた人たちだった。たぶん、お酒の入っていない時に個別に「戦争はどうでしたか」と聞けば「辛かった」と答えたはずだ。と思いたい。
今、戦争の生き証人に「戦争とは」と聞くと、「絶対あってはならない」とか「みんなが不幸になる」と言うのは当たり前だ。戦争は絶対悪だという世論がようやく常識になったことと、今生き残っている人たちは兵隊に行ったとしても新入りでいい目を見ることがなかったことが影響していのだろうか。

親類の入った隊が、さほど過酷な境遇に陥ることはなかった(それでも数人戦死して遺影が飾ってあった)ということもあるが、なんだかんだいって男は戦争が好きだという面があるのだ。私もだ。そういうものだと思って気をつけているが、どう気をつければいいのかはわからない。

神社の裏山に隠したエロ本

わたくそが初めてエロ本を見たのは小学1年か2年の時でした。1年か2年かあいまいですが、子供のころK川県内で3度引っ越しをして、記憶は引っ越しを節目として覚えています。K川県は当時人口が急増し、どこも1クラス40人以上で6か7組までありました。45人学級という言葉がありましたので、当時45人が上限だったのでしょう。
そんな小学校で、友達のT橋くんが「すげぇものがある」と呼んでくれて、休み時間に中庭の茂みでふたりでこっそり人生初のエロ本を見たのでした。
何人ものいろいろな裸の女性のカラー写真が並んでいました。光沢のある黒革の服を着てているのに肝心なところは丸見えだったり、柔らかそうな肌に銀色の金属が食い込んでいたり、刺激的でした。肌牛の搾乳機のような器具を付けられた乳首、医療用のチューブのような物を付けられたお尻、脚を拡げた姿勢で椅子に固定されコードの付いた器具を取り付けられた股間。そのころは知る由もありませんでしたが、あれはSM本だったのでしょう。なんとわたくそ、人生初のエロ本がSMだったのです。
小学1、2年ですが、淫靡さと禍々しさを感じ、下半身の一部が疼きました。それはT橋くんも同様だったようで、「なんかちんこがきょんきょんしてきたな」「な」と言いながら顔を見合わせました。
それからT橋君はもう一冊エロ本を見つけてきて、一番最初のSM本は黒い表紙だったので黒本、後から加わったエロ本は白本と呼んでいました。白本は、何人もの女性が街中で胸を見せている写真が並んでいて、T橋君と「オレはこのひと」などとお気に入りを指さしていました。わたくそはそれが撮影されたのが野外であること、おっぱいがお日様の光を浴びていることにたいへん興奮しました。今思うと白本は投稿写真系だったのだろうと思います。
エロ本は中庭の茂みに隠していて、学校内ではすぐに見つかってしまうという危機意識があり、放課後二人で自転車を漕いで近所の神社の裏山に隠しに行きました。裏山といっても、今思えばちょっとした盛り土のある森です。
森の奥の使われなくなった排水路のようなものがあって、その奥にエロ本を隠しました。たぶん濡れないようにビニール袋に入れていたとは思うのですが、その辺の記憶は定かでありません。暗号だらけの宝の地図のような物を書いて二人で秘密を共有しました。
しかしその後エロ本を見に行った記憶はありません。私は生まれつき体が弱く学校を休みがちになりました。その間にT橋君は親が交通事故に遭ったか起こしたかで親戚に引き取られて転校し、それきり会えなくなりました。
大人になってからも時々あのエロ本はどうなっただろうと思うことがありますが、あれからウン十年、あの裏山はマンションになっているのです。

ネコチャン

ネコチャンというのは私が飼っていたメス猫の名前である。
他界して半年経った。
ハムスターより大きい動物を飼ったのはネコチャンが初めてだった。
動物と意思疎通ができるというのは衝撃だった。
ヘタな人間よりもよほど立派な人格者だった。
穏やかで、壁やカーテンを引っかかず、教えなくてもトイレで用を足した。自分から膝に乗ってくることはあっても抱かれることが苦手で、抱き上げると仕方ないという顔をしてしばらくじっとして抱かせてくれるが1分くらいすると身をよじるのだった。
10才くらいから簡単な言葉をしゃべるようになった。
後頭部から干した布団の匂いがした。
2度の引っ越しにも付いてきて、17年一緒にいた。
あんな猫他にいないよ。
今新しくねこを飼おうという気にはならない。

いまだにソファで丸まっている気配がして撫でようとし、柔らかく暖かいものに触れるはずの手が空をきる。
夜明かりを付けずにトイレに行くときなど足に体をすり寄せてきたような錯覚がおこる。

 

f:id:kazkumaputti:20190716230506j:plain

 

浅草ロックで苦手な客に遭遇しあがっと言って花を買いに出たらマタイ受難曲で渋谷はどっちだ

7月14日明け方に見た夢。

 

道玄坂らしき坂道を歩いている。道頓堀劇場に行きたい。通いなれた劇場なのになぜか道に迷っている。曇りなのか夕方なのか街は薄暗い。空気があじさい色だと思う。黄色と赤のネオン看板だからすぐにわかるはずだ。たしかこのあたりにあるはずだと思う路地をのぞき込むが道劇が見つからない。坂を登り切って小高い丘の上に出てしまい、通り過ぎたようだと気が付く。
道行く人に「渋谷はどっちですか」と訪ねようと思うが、みんな真顔で足早に歩いていて声をかけずらい。
耳から一筋血を流している坊主頭の男が向こうから、競歩のような歩き方でスタスタと歩いてきて、私の前を横切った。目が血走っていた。「気の毒に頭蓋骨が割れちゃっているんだな」と思う。都会には時々ああいう状態になってしまった人が紛れているものだ。
ここだって渋谷なので「渋谷はどっちですか」という質問は大雑把すぎるかと思う。

 

<ここで一度起きてメモし、二度寝する>

 

市民会館のようなホールにいる。階段状の場内はえんじ色の椅子が並び床は赤いじゅうたん敷きだ。盆はないが、ここはストリップ劇場であり、今は開演前なのだ。
客はまばらで席は選び放題だが、私は前から6列目のやや下手側に座った。本当はスケベ心でかぶりつきに座りたいがここまで大きな劇場だとかぶりつきには座りずらい。座ってみるとステージが遠すぎるように思えて、せめて4列目か5列目にしておけば良かったと後悔する。前の方に里芋のような薄毛のおじさんが見え、あそこが良かったと思う。しかし、自由席だが一度座ると席を変えることができないシステムなのだ。

場内の横の壁に窪んだところがあり、そこに○○ちゃん(踊り子さん)が立っている。普段着なのだが頭には花飾りを挿して、さびしそうな表情をしてぽつんと立っている。私を見ると「あっ」というような声を出して小さく手を振ってくれた。そしてすぐにうつむいてしまった。いかにも今気が付いたように「あっ」と言ったが、○○ちゃんは私が気付く前から私に気付いていたのだろうと感じる。
後方扉から、私の苦手な客が入ってきた。近くに来ないでくれと願うが、彼は私を見つけると「あ」と声を発し近づいてきた。私が彼を苦手とする要因として、マナーの悪さよりも嫉妬心の方が大きいことを自覚している。
彼は私の二列後ろに座り、「シャアブッ」という音を立てて入れ歯を外した。おや、彼は入れ歯だったのかと思うが、入れ歯を外したように見えたのは幻かもしれないと思う。唇で歯を隠して口を開けているようでもあり、その口の中が恐ろしく真っ黒だ。二列後ろに座ったので話しかけられることはないという予想に反して話し掛けてきた。彼は「ほんとはコレ言っちゃダメなんだけど、言っちゃおうかな」と前置きをしてから踊り子さんから特別な扱いを受けているが故のあれこれを得意げに喋りだした。善意に解釈すれば、自慢ではなくウラ話を教えてくれているのかもしれないが、苦痛である。早くここから立ち去らなくてはと思う。今すぐ花を買いに行かなければならないことに気付いた。「幸いなことに、花を買う必要があるのです」という一節が新約聖書にあったような気がする。私が席を立ち歩きだしても彼は前を向いてしゃべり続けている。ということは私に喋っていたのではなく大きめの独り言なのかもしれない。
外出しようと場内横のドアを開けると、白々とした蛍光灯に照らされた傾斜のある通路に、踊り子さんと白タイツの男性ダンサー20人くらいが無言で並んで待機していた。舞台袖だと理解してそっとドアを閉めた。ここは浅草ロック座だから男性ダンサーがいるのだと納得した。
そのドアを閉めて後ろの扉から出てテケツに行く。従業員さんに「外出します」と言うと従業員さんから何か言われた。何を言われたのか分からなかったが注意事項だろう。私は「はい」と答えたつもりが「あがっ」と唐突に大きな声を発してしまって、その声に自分でも驚いた。今自分には声を調整をする能力が欠如しているのだ。「フィードバック機能の欠如」という言葉が浮かんだ。


劇場を出る。振り向くと劇場は灰色の巨大なコンサートホールで、大通りに面していた。夕方なのか、あたりはどんよりと薄暗い。とにかく花屋を探さなくてはならない。がむしゃらに歩くが、ちっとも花屋の無い街だ。

第一部の終わりには帰らなければならないが、一公演何分だったか思い出せない。CDだと2枚には収まらず、3枚か4枚になるのだ。5枚だったかもしれないがきちんと思い出せないことに落ち込む。とにかく今日、私はマタイ受難曲を聴きに来た。「血を流すのだ、我が心よ」の部分が頭の中に流れている。
席に置いた荷物はすでに撤去されているのだろうと思う。良席を占領したままどこかへ行ってしまうような人だと思われてしまうことに胸が苦しく泣きそうになる。

来た道を思い出せなくなっていた。劇場に戻れるかどうか自信が無くなってきた。だが、まずは花屋を探すべきだ。○○ちゃんの雰囲気に合った花があると良いのだが。仏花のような花ばかりの花屋だったら嫌だ。花を買ってから通行人に「渋谷はどこですか」と聞こうと考える。頭に「あの」を付けた方が自然だろう。練習のために「あの、渋谷はどこですか」とつぶやいてみようとするがハッハッと息が漏れるだけで声が出ず、息苦しくなる。

めんめんメガネ

わたくそ本来は面長なのですが、太ってからは丸顔になりました。ということは、顔がでかくなったのです。
そうするとメガネは大きい方がいい。スタイリッシュな小さめメガネではお顔に食い込んでしもいますから。せめて少しは(少しは!)顔に締まりを与えたいと思いまして、黒ぶちの大きめ、つるも太めのを選んでおりまるす。
最近ストリップで捕まった盗撮犯の、カメラを仕込んだネガネが黒ぶちでつるが太くて、わたくその黒ぶちメガネが肩身が狭くなっちゃいました。おのれ盗撮犯!そしてそんな物市販してることが恐ろしいですわ。
しかし盗撮犯のために不本意なメガネをかけるってのも、ちょっと、あれですから、ね。
あと、わたくそのメガネはつるが太いといっても盗撮用ほどは太くないですし、よく見るとこげ茶の斑入り模様なんですよ。
メガネの話をしていますが、「眼鏡」「めがね」「メガネ」と3とおりの書き方があって、それぞれ拮抗しているかと思いますが、なんとんく面白味があるのでここでは「メガネ」にします。
ストリピではかなりの確率でカブリ全員がメガネになることがあります。それに気が付くと「今、カブリ100%メガネだよ」と踊り子さんに報告したくなります(ポラタイムにしたことあります)。

メガネをかけはじめたのは中学生の時です。学校の健康診断で近視だと言われ、病院で測定して提携しているメガネ屋で作りました。そのメガネ屋は商店街の中にある古い個人商店で、フレームの種類が少なく、値段も高く、今思えば損な選択でしたが、親に連れて行れたのです。ああ、一生メガネか…思うと悲しくなりましたし、眼鏡をかけて初めて登校するときは陰鬱でした。初めのメガネは重いガラスレンズの銀縁メガネでした。雑な仕上げで、なぜか初めから赤い塗料の飛沫が一滴レンズに付着していてとれませんでした。

次からはチェーン店で買うようになりました。「めんめんメガネの良いメガネ~」のCMのメガネドラッグではなく、銀座和真というチェーン店です。銀座。高級感がありますが、料亭みたいな名前だなと思いました。でもそこで買い続けていました。最近は安いJINSメガネになりましたが。
流行りのフレームレスをかけたことも、度入りサングラスを作ったこともあります。視力はどんどん悪くなり、左右の差も著しくなりました。30過ぎたころから視力の低下は止まりました。近視の進行が止まったということです。40を過ぎてから、カメラで言うところの最短撮影距離が伸びだしました。つまりマクロに弱い。スト的には接写できない状態になりました。つまり老眼が始まったのです。それでもまだ30㎝くらいにピントを合わせることはできますから、本を読むのにメガネを外すほどではなく、幸い今買うとしたらまだ近眼鏡です。
若い頃、一度、コンタクトレンズにしようかと思ったこともありました。思っただけですけど。わたくそ、水の中で目を開けられないほどの怖がり太郎なので、自ら目に物を入れるのは怖いのです。
10年くらい前、レンズの上下が短くて横長のメガネが流行ったことがありました。わたくそはひそかにウルトラセブンみたいと思っていました。地デジ化でテレビ画面が横長になったのと関係があったのかもしれません(ない)。あのときは、メガネ屋の店頭にはセブンtypeばかりになってしまって大きめメガネは老眼鏡コーナーにあるのみという状態で困りました。けっきょくセブンメガネ買っちゃいましたぁぁ。ジュワッ! このメガネは一年もかけていませんでした。だって、非常に視界が狭いので。
そのあと、というか今も、大きくて丸いメガネが流行ってますね。ジョニーデッピが掛けていたようなやつで、ウエリントン型というやつです。ボリュームのある黒ぶちで、レンズが大きく、一見わたくその求めているメガネのようですが、わたくそがかけるとふくろうみたいでこっけいになってしまうんです。丸すぎるのと、幅が小さすぎるのです。あれはジョニーデッピだからいいんです。ジョニーデッピというのは、ジョニーデップのことをかわいく言っているのです。それからわたくそというのはわたくしの謙譲語です。
ちょうどいいメガネはなかなありまへん。あれこれ悩むほどのツラか!というツッコミが心の中で聞こえてきました。
<突然の終わり>

あわらと福井(後編)

<前回までのあらすぢ>

あわらミュージック劇場に出演する推しに会うために、はるばる東京からあわら温泉までやってきたストリップおじさん。昼間は観光地を巡ろうと予定をたてていたものの日頃の過労から寝過ごし、起きたら昼近かった。観光はあきらめ、とりあえず電車で福井市内に出てきたおじさんは果たして有意義な休日を過ごせるのだろうか……

 

福井の中心市街地にて、しばし近代建築に路面電車をからめて撮影を楽しんだが、わたくそはあくまでストリップおじさんなのであり、鉄道ファンでも建築ファンでもない。建物が何年築なのか知らないし(福井地裁については調べた)、撮っている電車がはたして何系なのかも知らない(調べる気もない)のである。

もう少し粘ればもっといい写真が撮れる気もするが、腹も減ったし脚もだるい。北陸ならではの地魚を出す店で遅い昼飯を食べようと物色して歩く。

f:id:kazkumaputti:20190613143052j:plain

西武デパートが建っているここが福井の中心地(のようだ)。県庁所在地にしてはちょっと寂しい。ネオン看板が立っていた(と思われる)骨組みが残ったビル。路面には線路。この先が福井駅だというのに、恐るべきことに線路がここから単線になってしまっている。

f:id:kazkumaputti:20190613204534j:plain

西武デパートの並びにアニメイトがある。アニメイトは今や全都道府県にあるのだ。とくに買い物はないが入ってみた。

かつてアニメイトは心のオアシスだった。中学に通うようになって横浜のアニメイト(東口にあったころ)にはオタクの友達とよく行った。あの時の店のにおい、今でも忘れない。コミックスを買うと付けてくれたアニメイトのロゴ入りの透明ビニールカバー、数年で赤い印刷が溶けてしもうた。

f:id:kazkumaputti:20190613205325j:plain

薬屋のカエル、手作りの服を着させられがち。

f:id:kazkumaputti:20190613205614j:plain

地魚を…とか思ってたのに、なんかちょっと入りずらかったりして、結局駅前のサイゼリヤにはいってしもいもひたぁ。これでは東京と変わらないとおもいきや、ふくてつ福井駅を見下ろしているので福井ならではのならでは感がある。ここで2時間くらい飲んだり食べたりスマホいじったりぼーっとしてしまいしまた。そして、もういい時間になったので帰ることにしました。

帰りはぜひ、新型に乗りたい。しかし、福井駅まで来るのは一部の電車だけのようなので、すべての電車が止まる大名町に徒歩で移動します。といっても、元来た道を半分戻るだけです。徒歩10分もしません。

f:id:kazkumaputti:20190613210122j:plain

新型にのりました(ヤッタ!)すごく低くて、流れる道路が近い。乗用車に乗ってるくらいです。

行きに乗り換えた田原町から乗り換えなしでえちぜん鉄道に乗り入れて、けっこうなスピードで走っているように感じるのは、やはり床が低いため迫力があるからでしょう。新型用の低いホームが無い駅は通過していきますが、この電車は快速とか急行とか書いてなかったようだけど、不思議。鷲塚針原という、住民しか用がなさそうな地味な駅が終点でした。ところで、乗った時は路面だったので切符買ってません。(整理券は取った)。電車を降りるときに清算するかと思ったのですが、何にも言われないのでそのままホームに出てしまいました。

f:id:kazkumaputti:20190613210659j:plain

ここで新型をじっくり見れました。車輪が見えないので浮いているよう。

f:id:kazkumaputti:20190613214150j:plain

しゃがんで覗いてみましたが、車輪が見えません。

f:id:kazkumaputti:20190613214400j:plain

でた!ジャンジャン!

f:id:kazkumaputti:20190613214818j:plain

あわらに行く電車が来るまで20分くらい時間があるので、無人駅なので外に出ちゃいましたぁ!(料金払ってないけど)

この駅舎、登録有形文化財ですって(プレートが貼ってあった)。正直そんなふうには見えないけど……

f:id:kazkumaputti:20190613215146j:plain

お花と文化財の駅舎。いい感じに撮れたと思ったけどよく見たら、指が入ってしもいもひたぁ💦

f:id:kazkumaputti:20190613215909j:plain

駅近くを散歩しました。

f:id:kazkumaputti:20190613221728j:plain

あわら温泉方面の電車が来ました。同じ線路走ってるのに体形がぜんぜん違うので、同じホームには止まれないようです。

f:id:kazkumaputti:20190613222157j:plain

あわら湯のまち駅の改札口で大名町からの整理券を出して清算しました。

もう夕方になってる。旅館でひと風呂浴びて、ストリップにいくのです。

ところで!わたくそ、あわらとおわらの区別がついていませんでした。ここで風の盆をやるのか…ストリッピの前も通るのかな?なんて思っちゃってました。

f:id:kazkumaputti:20190613222520j:plain

いやーすばらしかったな。

 

 

あわらと福井(前編)

5結、あわら温泉にいって、なんと!2泊もしてもぅた。

なぜにあわら温泉に行ったのかといえば、温泉に入るためでも、カニを食べる食べてもなく、ストリップーが目的だったのです。

だから、ビジネスホテルがあればビジネスホテルでいいのですが、あわら温泉にビジネスホテルはないので、温泉旅館の素泊まりプランを予約しました。

ご飯は主にコンビニ弁当で済ませました(パン含む)。

あわらのストリッピは7時くらいに開場、8時過ぎくらいに開演なのです(きっちり決まってるわけではない)。わたくそは2泊なので二日目は時間余ります。わたくそも事前に色々調べまして、三国湊を散歩して、東尋坊へ行こうか、昼飯は評判の海鮮丼のお店で食べよう、などと計画を練り、時刻も調べ、そこはもうキッチリ計画してましたが…2日目、目覚めたらお昼ちょい前だったのです。計画を立て直す気力もありません。

福井市内で暇をつぶすべく駅に行ったのですが、ちょうど電車が行ってもいもひた。あわら温泉をブラブラしましたが、この町は残念ながら歴史的建造物がないのですね。でも、まったく温泉街の西端にある田中温泉薬師神社にお参りしました。なお、帰ってから調べたがなぜ田中温泉なのかはわからずでした。そして、薬師は病気・怪我にご利益があるのですが、田中温泉薬師はとくに精神の不調にご利益があるらしいですよ。

f:id:kazkumaputti:20190604174616j:plain

 あわらゆのまち駅(以下あわら駅)には自動券売機はなく、女性の駅員さんに行き先を言って切符を買うのです。私は「女子高まで」と言って買いました。「女子高」というのは正確には「仁愛女子高校駅」です。ちなみに、あわら駅は京福電鉄、女子高駅は福井鉄道でなので乗換があるのですが、通しで買った方が割引になるようです。

f:id:kazkumaputti:20190604175805j:plain

あわらゆのさと駅にて。「ジャンジャンが鳴ったらわたらないでください」っておもしろーい表現。でも、ここの踏切はフォンフォンってやさしい電子音でした。

f:id:kazkumaputti:20190604181618j:plain

 このように、のどかな車窓。

f:id:kazkumaputti:20190604183043j:plain

長くてキラキラな駅名が多いです。あわらゆのまちもそうですね。でも、地元の方はきらきら部分を省略(というか、おそらく元の駅名)で言っていました。ところでえちてつは、たぶん昼間だけだと思うんですが、かわいい車掌さん(アテンダントさん?)がかわいい制服でのっております。(写真はありません)

ところで、わたくそは10年くらい前にこの線に乗っている。突然ですが、twitterの引用をば。

昔、ブルートレインで北陸に一人旅した時のこと。東尋坊行きのローカル線で女性車掌が親切に話かけてきて、ほんのちょっとだけどもしや私に気があるんじゃ…ムフッなんて思ったけど、自殺願望者だと思われていたんだろな。 その日あわらに泊まりたかったが一人では虚しいので福井市内のビジホにした。

当時は暗い顔していたんでしょうね。今は好きな踊り子さんに会いに来ているのでにたにたしていて話しかけられません。

 

田原町でふくてつに乗り換えました。福井市の中心部にショートカットで行けるんです。

f:id:kazkumaputti:20190604191751j:plain

 古い電車で、連結部分が中華料理店の入り口みたいでした。

f:id:kazkumaputti:20190604185615j:plain

すぐに道路に出ました。この写真は後ろから撮ったのです。目指す仁愛女子高駅は一つ目です。カメラの準備をして降りました。 

(ここまで書いて下書きに保存したつもりが2時間くらい公開されちゃってた…。「おまわりさーんこの人変態です!」っていわれそうな感じになってますた……)

f:id:kazkumaputti:20190604230634j:plain

降りたら対向列車がすぐにやってきて、あわてて撮ったのがこれ。後ろの建物は福井地方裁判所です。後ろからになってしまいました。じつはわてくそ、福井地裁目当てに来たのです。電車も入れて写真を撮ろうというわけです。仁愛女子高駅(電停と言った方がいいのか?)はわりと最近まで裁判所前駅だったのが改名したのです。

f:id:kazkumaputti:20190604233518j:plainうーすごい!いかにも裁判所って感じのイカツイ建物です。今度は正面からパチリ!って、車が入ってしもいもひたぁぁ💦

f:id:kazkumaputti:20190604233757j:plainちゃんと撮ろうとするとむずかしいものですね。今度は、まあまあですかね。鉄チャンだと、後追い(進行方向後ろから撮ること)は減点なのでしょうが、わしはまあ、これで良しとします。ここ一時間に片側3本しかこないので待ち時間が大変なのでね。

今調べたら福井地裁、1954年の建物だということを知って、なんだけっこう新しいんじゃん…と勝手に萎えております。(戦前かと思った)

福井駅前まで歩きました。ふくてつだと、女子高ー大名町ー福井駅前なんですが、路面区間は駅が近いので余裕です。

f:id:kazkumaputti:20190604234344j:plain途中、こんなすてきな像がありました。裸婦像よりもいろっぽいんじゃないでしょうか。後ろを走ってるのは、先ほどわたくそが乗ったのと同じタイプの中華料理店風の電車です。

駅前通りに古い銀行があった(角が丸くてステキ!)ので、また電車が来るのを待って撮りました。いい所に電車が来る瞬間にシャッターを押す。なんだか楽しくなってきました。

f:id:kazkumaputti:20190606164934j:plain
こんどは一発でまあまあ満足。これも後追いなんですけどね。

f:id:kazkumaputti:20190606171741j:plain同じ写真ですが、思いきりトーンカーブをいじってみました。10年くらい前こういうかんじの処理の画像が流行っていて、いまでもちょい見ますが、はじめのころはかっけーと思っていたけど、飽きてきました。なんとなくオリンパスっぽいと思ってしまうんですが、オリンパスに悪いですかね。

  

後編へつづく (次回、アニメイトサイゼリア)

 

*6月13日タイトルを変更しました