がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

わたくそと床屋 その③ (金髪編)

学生時代に、急に髪を染めたくなったことがあります。
当時、バブルは終わっていましたがその余波は続いていました。景気の下落は一時の波動の範囲で、まだ右上がりの途上。じきにまた上昇するとみなさんが根拠なく思っていたころでした。
日本男児は黒髪!髪を染めるなんて不良のすること!という風潮があったのですが、バブルのころからむしろ染めていない方がどうかしているくらいに思われていました。サラリーマンも染めだして「チャパリーマン」なんていう言葉ができました。黒髪を「重い」と表現し、茶髪を「軽い」とか「明るい」とか言いだしてました。

それで、わたくすも遅まきながら染めてみようと思い立ったのです。どうせ染めるならみんなと同じじゃいやだ!と思い、金髪にしようと思いました。
みんなどうやって染めているのかわからなかったのですが、とりあえず世田谷区の床屋に行きました。初めてはいる床屋に飛び込みました。なぜ世田谷区かと言うと、わたくすの行っていた学校があるからで、世田谷区だとオシャレだろうとか、全然考えていませんでした。むしろ初老の夫婦が白衣でやってるレトロ床屋でした。
お客さんがいっぱいいて、2時間くらい待ちました。ゴルゴ13とか読んでいました。いや、わたくそはすけべだからやるっきゃ騎士だったかもしれません。騎士と書いてナイトと読みます。
ようやくわたくその番になって、椅子に腰かけると、店主がテルテル坊主のようなケープのようなものを掛けながら「どうしますか」と聞かれたので「髪を染めたいのですが」と言うと店主は無言で私の頭に白濁液を塗り付け、しばらくしてから「どの色」と色見本を出してきました。栗色から漆黒までグラデーションで並んでいました。そこにわたくその希望する金はありませんでした。わたくそは「金にしてください」と言うと、店主は無言でキッチンペーパーのように物で髪の毛に付いた白濁液をぐいぐいとぬぐいました。雑にぬぐい終わると、ケープのようなものを外し、無言で椅子を回し、出口を指さしました。わたくそはその瞬間どういうことかわからないのできょとんと座っておりましたら怒気をこめた声で「床屋じゃ白髪染めしかできないの」と言われましたので、出ていきました。

白濁液が残っていてべとつく頭のまま街をさまよいました。そのうち、このままでは帰れないと思い、目についた美容院に飛び込みました。初美容院でした。「次からは電話で予約してから来てください」と言われましたが。「次からは洗髪してから来てください」と言われながら、べとべとする白濁液を洗い流してもらい、仰向けで!(床屋は前屈みなので)初めて仰向けで顔に布掛けられて洗髪してもらいました。そしていったん脱色してから金色に染めてもらいました。初めて、くるくる回るヒーターを頭の上でくるくる回して。
そしてわたくそは金髪になったのです。その夏は(夏だったので)金髪で過ごしました。金髪になると気分も派手になり、派手なアロハを着たり、変なサングラス買ったり(青いレンズでした。わたくそはこのころすでに目が悪かったのでわざわざ度入りのサングラス作ってもらいました)、ビーチサンダルで東京を歩いたり、奇をてらってブリキのバケツをバッグ代わりにしたり、奈良みやげの車輪の付いたビニールの鹿を引っ張って歩いてみたりしました。

なお、お金がかかりすぎるので、次からは自分でオレンジに染めていました。借りていた部屋の畳に染料をこぼしてしまい、畳がオレンジになってしまいました。怖そうな大家さんだったので、退去するときに一体いくら取られるのかと、また、きついお説教があるのではないかと、びくびくして生活しておりました。
それがいまでは床屋で白髪染めですわ。