がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

聖書といちじくについてのメモ(少し古事記)

ツイッターの絵文字は、米ツイッター社が作っている(と思っている)のだけれど、なんでいちじくの絵文字がないのだろうか。
キュウイ、アボカド、ココナッツはあるのに!
いちじくは欧米ではメジャーなはずです。というのは、聖書にはいちじくが頻繁に出てくるからです。聖書の中で果物ではぶどうの次にいちじくが多く、70回以上登場しているそうです。

「聖書では、イチジクの木とブドウの木の下に住むことは、幸福、平和、豊かさの象徴とされた」『聖書植物園』

 

ところで、いちじくは俳句の季語では秋ですし、市場に出回るのが夏から秋にかけてですから、春というイメージは薄いでしょうが、わたくそにとっては初めからいちじくといえば春なのです。
わたくそは母がクリスチャン(カトリック)で、幼少のころ子ども教会で、

「キリストさまは言いました。春のいちじくから学びなさい。~この世は決して滅びません」と教えられました。(記憶の改変ではありません!)幼いころ正直意味はわからなかったです。


私は洗礼を受けていない(信者ではない)のですが、ずっと聖書は枕元にあり、眠れない時など読んでいます。読み物として独学で読んでしまっているために、信仰心の篤い方とは相容れないのだと思っています。(奇跡を信じないということが大きな理由なのです。)キリスト教徒ではないのですが、歳をとるにしたがって、自分の考え方にキリスト教の影響があるとは感じています。

 

記憶の中の「春のいちじくから学びなさい」ですが、聖書での該当箇所は「いちじくの木の教え」という見出しのある以下の部分です。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」(マタイ24 32-35 マルコ13 28-31)
春のいちじくとは書いてありませんが、明らかに春のいちじくのことですね。キリストさまはいちじくのことを語っていたと思ったら世界の終末の話になる、突然スケールが大きくなるところが私は好きです。滅びないと言ったと思ったら滅びるのかいってのもキリストさまらしい言い方だと思います。

 

言い方は少し違いますが同様のエピソードが「いちじくの木のたとえ」として書かれています。
「いちじくの木や、他のすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。
それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。
はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」(ルカ 21.29-33より)
キリストさまは、いちじくを見なさいとおっしゃっています。

 

キリストさまはなぜ春のいちじくの実を欲したのか。旧約聖書に、初なりのいちじくは価値の高いものだと記されていることと関係があるのだとも考えられます。それで、キリストさまは、なっている可能性が低いが、なっていたら初なりであるいちじくの実を求めたとも考えるかたもいますが、この説法の後、過越祭(春のお祭り)の寸前にキリストさまは磔になりましたので、キリストさまが望んだ時が春だったのです。

 

「悲しいかな
わたしは夏の果物を集める者のように
ぶどうの残りをつむもののようになった。
もはや、食べられるぶどうの実はなく
私の好む初なりのいちじくもない」(ミカ書 7.1)

ミカ書における“わたし”は神です。
神は初なりのいちじくを好むと自らおっしゃっています。
「夏の果物」ではなく、初なりのいちじくとは、これまた春のいちじくを指しているのです。

 

ところで、キリストさまといちじくと言えば。ググるとまず出てくるのは、キリストさまがいちじくの実を食べようとしたらまだ実がなっていなくて怒って枯らしてしまった話です。しかし私は、あれは「いちじくの教え」に比べたら些末的なエピソードであると考えています。キリストさまが八つ当たりしたという面白さで、よく知られることになったのでしょう。

 

いちじくは、現代日本で市場に出回っているものは夏に実が採れる夏果専用種というものですが、昔のいちじくは、春に小さい実を付けさらに夏に大きな実を付けていた、らしいのです。

 

 


日本では、古事記に「時じくの香の木の実」という果物が出てきます(垂仁天皇紀)。日本書紀では「非時香果」という表記で登場します。常世の国にある果物で、いい香りを放ち、不老不死の力をもっているとされます。読みは「ときじくのかくのこのみ」または「ときじくのかぐのこのみ」です。ときじくとは、いちじくの事かもと思いましたが、「時じくの香の木の実は今の橘なり」としっかり古事記にありますので、これはみかんのことでした。残念。