がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

初夢を書こうとしたものの、

あけましておめでとうございます。
犯年の挨拶をするにはずいぶん遅くなりましたが、まだ1月中なので、ね。
去年は令和元年ということで、世の中令和令和言っておりましたが、今年は「令和2年」と言う言葉はあまり聞かず、2020をよく聞きまうす。(ねずみ年なだけに)。「ニーゼロニーゼロ」と読むと五輪チックですね。
オリンピックがもし万が一赤字になった際は、誘致あるいは協賛した企業・団体が被るのが道理だと思っております。

今、初夢について書こうとしています。初夢というと1月1日に見た夢ではなく、1月2日に見た夢のことだという説が、近年唱えられていますね。寝入りが12月31日で目覚めが1月1日ならば、「それは初夢ではないヨ」という説も納得できないでもありません。しかーし、わてくそは普段から0時を過ぎてから寝つく人間、大みそかから元旦にかけてはなおさら睡眠中に年またぎなんてことは大人になってからありません。なので、1月1日になってから寝入り、1月1日に起きた時に見ていた夢は、「それ、初夢だヨ」だと思っております。あと、夢は睡眠の途中で見ていても忘れてしまっていて、目覚める直前に見ていたものを記憶しているようです。これはフロイト先生が言ってたことです。

初夢がどちらにしても、何かしらの夢は見たのですが、内容がさっぱり思い出せません。本わてくそは夢は覚えている方なのですが。あ、「わてくそ」というのは「わたくし」の変化形です。変化は気分によって何種類か使い分けますが、原語から最も遠い変化は「あてくそ」です。
初夢からは日にちが経ってしまったのですが、この前濃い夢を見たのでここに記します。


◎1月22日明け方の夢

電車に乗っている。私は立っていて、脚が疲れてだるい。途中駅で4人掛けボックスシートの通路側が2席空いた。進行方向反対側を向いた席に座る。4人掛けに3人座っているが、1席空いたままである。そして私を含めて3人とも大柄な男性である。もう一人来られるとギュウギュウになってしまう。ドアにもたれてスマホでゲームをしている大柄のオタクがちらっとこっちを見た。ゲームから目を離さずにこっちへやってくる。ここへ自分が座ったらギュウギュウになるだろうとか、そういう配慮はできなさそうなタイプに感じる。
すると、可愛らしい丸顔の小柄な女性が空いている席に座った。黄色っぽい地に細かい花を散らしたスカートを履いている。女性もやはりスマホを見ながらである。女性は私を見て「へへへ」と声を出して笑った。私の心を読んでの笑いなのか、スマホで面白い動画を見ているのか、判断ができない。戸惑っていると、また私を見て「へへへ」と笑った。ひょっとしたら知り合いなのかもしれないと思う。私は電車の揺れで頭が動いたと思われるくらい微妙に頭を下げた。心当たりがないが、どこかであったような気もする。メイクを薄くしている踊り子さんなのかもしれない。と思っていたらまた顔を上げて「へへへ」と笑った。私は女性に合わせて笑顔を作ってほほ笑み返したが、ぎこちない笑顔なのだろうなと思う。


◎1月23日明け方の夢

地下を歩いている。閑散とした地下鉄の乗換え通路だ。白いタイル張りの通路が長々と続いている。端には溝がほられていてチョロチョロとか細く水が流れている。水の底には茶色い汚れが堆積している。これは便所の水なのだろうと思う。脚が疲れている。
突き当たりに階段があり、エスカレーターがないことを恨みながら上る。上った先はまだ地下道だが、別の路線からの客が合流し、さっきより幅が広く、歩いている人も多い。所々にお店が出ている。便所の隣にフルーツジュースを売る店があり、その場で飲んでいる人が何人かいる。高級そうな赤いコートを着た親子連れがバナナジュースを飲んでいる。お母さんと小学生くらいの娘である。おいしそうに飲んでいるが、場所が悪いと思う。というのは、バナナは大便を連想してしまうからである。
いつまで歩いても乗りかえられないので、知らないうちに改札の外に出てしまっているのではないかと不安になる。何が不安なのかというと、不正乗車を疑われることだ。
いつの間にか地上に出て、大通りの歩道を歩いている。曇った昼間である。だが、私には、ここは地下鉄の乗換通路だという認識もある。というのは、一度も改札を通った記憶がないのだ。その証拠に、歩道が腰くらいの柵で仕切られていて、私は車道側を歩いているのだが、ビル側は一般道、車道側の柵の中は乗換え通路なのだ。そして周りのみんなも、いかにも乗り換えの為に仕方がなく歩いているという表情をして黙々と歩いている。柵のビル側を歩く人たちは、犬に散歩をさせていたり、立ち止まって店をのぞき込んだりしている。行動に自由さがあるのだ。柵は腰の高さで、乗り越えようと思えば乗り越えられるのだが「誰もそんなことはしない」。「誰もそんなことはしない」と誰かが耳元で声に出して言ったような気がして、気持ちが悪くなった。
大きな交差点をまたぐ歩道橋が出てきた。地下鉄の乗換のはずなのにおかしいと思いつつも、そういう構造の駅もあると納得もしている。階段を上る。交差点の四方からの階段が集まっている歩道橋の上は広場になっていて、真ん中にモニュメントがある。3m四方くらいの銀色の立方体が角を上にしてどこからともなく吊り下げられていて、ゆっくりと回転している。回転が不規則なため、電動ではなく風を受けて回っているのだろうと思う。初めは銀色だったが、回転しているうちにいろいろな色に変化する。私は深い青緑色になった時が一番きれいだと感じたが、その色は2秒くらいしかもたなかった。2秒というのは短いようでいて鑑賞するには十分な時間だろう。人が死ぬ瞬間の2秒はとても長いという思いがよぎった。みんな乗り換えのために無表情で速足で歩いているのに、私だけがモニュメントの前で足を止めてはならない気がした。それは「乗り換えという目的外の行動にあたります」という注意書きをどこかで見たような気がした。だから私は立ち止まらずにモニュメントの周りをまわりながら横目でそれを観察した。
下へ降りる階段は8つくらいあり、一体どれを下ればいいのか迷う。自分は銀座線かチンイチ線に乗り換えなければいけないのだ。2路線どちらでもいいのはメリットなのだろうか、それとも事態をより複雑にしているのだろうかと考える。誰かに聞けばいいのだろうが、なんとなく聞いてはいけない気がするし、迷っていることを他の人に悟られても行けない。迷っていることがばれたら恐ろしいことが起こる予感がするのだ。
歩きながら標識を探す。銀座線は黄色、チンイチ線は抹茶のような緑の標識のはずである。しかし、それらしき標識は見当たらない。それぞれの階段の近くに、指差す手をかたどった矢印があり、袖の部分にマークが書いてある。文字は無くマークだけである。マークに色がついていればヒントになっるのだが、マークはすべて黒で、若者がステンシルと缶スプレーで書いたような落書きにも見える。マークはダルマ、虎、はさみ(マークは階段と同じく8つあったが、あとは思い出せない)などだ。私は広場をぐるぐる回りながらどの階段を降りるべきか考える。虎の階段を降りるのはおそろしい。無難なのは普通に考えればダルマだろうと思ったが、そのダルマはピエロのようにニタァとした笑みをたたえていたので、ダルマがいちばん恐ろしい選択だと思えてきた。普通に考えればぶっそうなはさみが、今は一番無難なように感る。しかし、黒で描かれたはずのハサミが実は黒っぽい赤だったように思えてきた。一度赤で描いたハサミの上から黒で塗り潰したために赤みが透けて見えたいたのではないか。不吉な予感がする。
そんなことを考えているうちに広場を2周してしまった。3週目には降りなければ不自然に思われてしまうし、もう足が限界だ。ハサミの階段を降りることに決めた。