がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

ラジオ体操おじさん

学生時代、アパートの2階を借りて住んでいた。
車がすれ違うのがやっとの狭い道路を挟んで、向かいの家がよく見えた。木造二階建ての一戸建てで、道路に面して差し掛け屋根のあるカーポートがあったが、手放したのか車は無かった。カーポートの道路に近い所に椅子を置いて、70過ぎと思われる禿げ頭のオヤジが朝から晩まで通行人をにらみつけながら座っていた。物静かな白髪の女性が時々買い物をしたり、ベランダに布団を干したりしていたので、奥さんと二人暮らしなのだろう。
困ったのは、オヤジが朝6時過ぎに出てきてラジオを大音量でかけることだった。その音量は、自分が聞くためというより、近所に聞かせてやっているという意思が感じられるものだった。いつもNHKばかりで、ラジオ体操から始まる。オヤジは体操することもなく、腕を組んで、あるいはタバコをふかしながら、椅子に座ったままである。続いて、ニュース、天気予報、交通情報を聞かせる。情報の提供をしているつもりなのだろうか。朝は通勤通学の人通りが多いのだが、オヤジはニコリともせず、8時くらいまで大音量は続いていた。8時過ぎになると一旦ラジオを切るか音量を下げるが、食事を除いてはたいてい日が沈むまで座っていた。
常に怒ったような赤ら顔をしたオヤジで、近所の人と挨拶しているところも見たことがない。私もアパートを出入りするときに毎回ジロジロとにらみつけられた。はじめは「おはようございます」などと声をかけたが何の反応も無い。次第に頭を下げるだけになり、やがて私も何もしなくなった。
耳が悪いのか声が出せないのかとも思ったことがあるが、一度セールスマンらしき男を怒鳴りつけているのを聞いたことがある。

その町に定住するつもりはなかったので、町内会には入らなかったし近所づきあいもしなかったが、時々食べに行く近くの小さな喫茶店兼食堂の兄ちゃんにあのオヤジのことを聞いたことがある。「ああ、ラジオ体操おじさんか」と言った。昔は寿司屋だったか蕎麦屋だったかを営んでいたが、あの性格だからすぐにつぶれたのだそうだ。なぜ毎朝道路に面した所に座っているのか聞いたら「女子中高生の脚を見ているんじゃないのか」と言った。
私は1年半くらいで引っ越したので、オヤジのその後は知らない。