がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

冷房、たばこ、地下鉄

ストリップに通い出して2年数か月、寝込むような大きな病気はしていない。初夏にエアコンを入れたくらいの時に咳が出るようになり、1か月くらい続いた。咳以外の症状が無かったのだが、劇場で咳が止まらなくなっては困るし、うつる病気ではないがうつるんじゃないかと思われるのは当然であり、その間は劇場から少し足が遠のいていた。行くときにはエスエス製薬の『ブロン』咳止め錠を服用していた。私は昔、咳止めには三共製薬の『ブロチンコデイン』を愛用していた。名前にチンコが入っているのである。これは今では製造していない。ちなみに略称は『ブロコデ』だった。もっとどうでもいい話だが三共には蚊取り線香もつくっており、これの商品名は『金芳香(きんぽうこう)』であった。
『ブロチンコデイン』は一度に大量に服薬すると、精神に作用するようで、中毒になると言われていた。しかし、今売っている『ブロン』も成分は似たようなものなので、やはり飲み方を誤ると精神に作用するらしく、薬屋では口頭で説明をしてくれるし、一度に一瓶しか売ってくれない。

 

電車も劇場も、初夏に入れた冷房は独特のにおいがする。なかにはいい匂いと言う人もいるが、これはカビの臭いであろう。夏の咳はエアコンのカビが原因だと思われる。冷房風邪と呼ばれているもののほとんどはカビが原因だと言う医者もいる。
私は元来虚弱体質で、大きな手術もしており子供のころは心配されるほど痩せていた。気管支が弱く、空気が汚れているとすぐに胸がヒュービューゼイゼイ言い出し、苦しんだ。もちろん寒さにも弱く、幼稚園に、2月に全く行かず、先生が月謝を帰しに来たこともあったようだ。旅館で枕投げなどもってのほかだった。
小学校でも冬はよく学校を休み、NHK教育テレビなど見ていると、歌のお姉さんお兄さんが「みんなー!子供は風の子元気な子!あれれー?風邪なんてひいてないかな?そっ、子供は元気がいちばん!お外で元気に遊んで、寒さなんか吹き飛ばしちゃえー!」なんて言われて傷ついた。だが、当時は「風邪を引いている子の気持ちも考えてください!」なんてNHKに電話した人などいなかったであろう。たぶん。
テレビは、時には人を傷つけるし、ショックな映像も流れるし、夜はおっぱいが平気出ていたし、お茶の間が気まずくなることもあったけれど、テレビとはそういうものだと思ってきたのである。

 

成人してからは体調は改善し、人並みかどうかはわからないが、極端に敏感ではなくなった。20代、たばこを吸っていた時期もある。たばこを吸ったのか考えてみると、やさぐれた職場だった事が大きい。周りがほとんど吸っていたし、吸わないとやっていられない気分だった。しかし、私はカビやほこりには弱かったが、たばこのけむりで具合が悪くなったことはなかったかな。両親はたばこは吸わなかったが、祖母の一人(祖母の姉妹)はたばこを吸っていた。たばこを吸いながら膝に座らせてくれたこともあるだろう。けむりで輪っかを作ってくれて、それを見て喜んでいた記憶がある。だが、たばこのけむりで苦しくなったという記憶はない。むしろ、たばこのにおいは郷愁につながる。昭和の臭いだ。
2年くらい吸っていたが、すぐやめられたから、ニコチン中毒にはなっていなかったのであろう。要するにかっこつけ、または手持ちぶさたの気まずさ埋めであった。てもちぶさたは、いつもてもちぶたさと言い間違える。手持ち豚さん。

 

昭和の臭いといえば、地下鉄の臭いもひどかった。特に古い地下鉄、銀座線と丸の内線の駅の臭いは独特だった。地下鉄の臭いこそ、カビの臭いだった。カビと、鉄粉と、人の汗の混じった臭いか。しかし、幼いころから地下鉄に乗っていた私には、これもまた懐かしい昭和の香りだった。親に連れられて病院の行きかえり、臭い駅のジューススタンドで、ジューサーミキサーでガリガリと混ぜたバナナジュースまたはメロンジュースを飲んでいた。今、スタンドのジュースと言えばちょっとしゃれたもので、お値段もはるのだが、あのころは高級なイメージもなかった。

そういえば朝ドラのあまちゃんで、東京から帰った娘を母が「うーん東京の地下鉄の臭い」と言ってくんかくんかするシーンがあった。スタンドのバナナジュースについてもあまちゃんで言っていたような気がしたが、勘違いかもしれない。

地下鉄の臭いは改善されたが、丸の内線の池袋駅に最近までこの臭いが残っていた。