がけぷっち世界

ここはくまのおかしな世界です。

同人誌を作って即売会に出てみた

今年はほとんどブログを更新しないで年末になってしまった。
今年、私の中での大きなできごとは、先月、11月20日文学フリマ東京35に出店したことだ。
自分で本を作って自分で頒布するのは初めてだった。

 

創造と表現の現場(ストリップ)を目の当たりにしていると、自分の中にもわずかながらにあった表現欲求が触発され、自分も何か作りたい・表現したいという気持ちが大きくなる。この気持ちは多くのスト客に理解してもらえると思う。

今年3月に「オジサンのためのストりっぷ劇場入門」という絵を描いてツイートした。表紙だけのネタであり、中身を書くつもりはなかった。

このツイートに予想以上の反響があった。「乗り掛かった舟だから同人誌作っちゃいなよ」と言ってくれる踊り子さんもいて、では一冊作って即売会に出ようと思うに至った。

漫画をツイッターやブログに上げて見てもらえば手間もかからずコストもほとんどかからないのだが、手触りのある紙の本として作り、それをお互い顔の見える形で直接渡したかった。と言えば聞こえはいいが、まあ、お店やさんごっこがしたくなったのだ。

じつは9月のコミティアにもエントリーしてスペースをいただいていたのだが、諸々の事情で不参加だったし、この時点では何も描いてはいなかった。
11月の文フリでもスペースをいただき(抽選はなく、エントリーした者は全員スペースがあてがわれたようだった)、ではいいよいよ描き始めなければと腰を上げたのは9月の末だった。
今年は概ね気分が沈んでおり、9月の末は特に酷かった中、漫画の始めとラストの1ページずつ描いた。何しろ漫画を描くのは初めてなもので、当初使おうと思っていたGペンでは全く思うように線が掛けず、サインペンに持ち替えてから作業が進みだした。この2ページは暗い雰囲気になった。
初めと終わりだけ描いて何だかもうほとんど完成したような気持になってしまい、中のページは気分が高まった時に一気に描けると思っていたが、そんな時は訪れず、それでもまあまあなんとかやる気の出てきた10月中旬になってから手を付けた。
おじさんを描くのは楽しいが、美少女は描けない。当初、構図の工夫で一切踊り子さんを描かなくても済むように目論んでいたが、そうもいかなくなってきた。だが、私にとっては女の子の顔を描くだけでも大変なのに、なにしろ踊り子さんは普通ではないポーズをとるのだから大変だ。アマゾンで買った可動フィギュア「チアキ」と、「まきばシステム」のお世話になってなんとか描いた。

次に困ったのは乳首を描くか否かであった。構図としては乳首を描いて当然なコマが複数ある。だが、「へー、くまさんってこういう乳首が好きなんだ」と思われるのではないかと考えてしまい、結局乳首を描くことはできなかった。

完全に一人で作っているので、催促されることもなく、作らなくても誰かに迷惑をかけるということもない。だから心が揺らいで、また不参加にしてしまおうと思ってペンが止まってしまうこともあった。日にちが迫ってきて、アイデアばかり湧いて作画が追い付かないので大幅にエピソードを削った。ツイートした「オジサンのためのストりっぷ劇場入門」に期待される内容とはだいぶ違うものになってしまった。


印刷と製本も自分で行った。パソコン用のプリンタで印刷し、ホチキスで中綴じした。

発行部数と金額(頒布価格)を自分で決められるのが同人誌のいい所なのだが、大変に悩んだ。
インタネットでYAH○○知恵袋などを見ると、「初参加で10冊売れれば御の字です」とか「大量に売れ残ると恥をかきますよ」とか、「1色コピー本で何百円も取るのは何様のつもりでしょうか。私ならタダにします」とか、厳しいことが書いてある。
それで「10冊作ります」とツイートしたらフォロワーさんが「10冊じゃ少なすぎる」などの反響をいただき、気をよくして結局30冊持って行った。この30冊とは別に、推しとお世話になった踊り子さんに差し上げる用と自分用に6冊作った。ページの割り付けを間違えるなどして印刷製本作業は当日の明け方まで続き、寝不足で文フリに行った。印刷製本がこれほどまで大変で時間がかかるとは思っていなかった。印刷製本を業者に任せた方が手間を含めたコストは安かったかもしれないが、寸前まで作業ができたのは完全に手製ならではのメリットだった。
出来上がった本を手にすると薄っぺらい。同人誌を「薄い本」と呼ぶが、それにしても薄すぎる。あと4ページ増やしたほうが体裁が良かった。(私の作り方だと1枚の紙に4ページ分割り付けるので、最低単位が4ページとなる。)
だが、やたらと長い解説でページを稼いで、これが限界だった。
「オッサンの落書きで金をとるのかよ」という声も頭の中に聞こえてきたが、頒布価格は寸前に150円に決めた。100円にすべきか悩んだが、50円分は私のプライドのようなものだ。

 

会場には10時45分に入った。ストリップ関連の皆さんが並んでいる通路とは一列ずれていたが、斜め後ろに皆さんの気配を感じられる場所だった。12時に一般入場者が入ってきて、13時には30冊売り切ってしまった。たぶん、適正部数は50冊というところだった。
お客さんの内訳は、『おじさんのためのストリップ劇場入門』なのに女性の方が少し多かった。ストリップに行ったことはないけど、私のツイートを見て買ってくれた方もいた。
試し読みをする方も多くて、みなさんきれいに読んでくれたので助かったが、次に参加する時には一冊サンプルを置くべきだと思った。
30分ほど自分のブースを空けて見たい・会いたいブースを見て回った。そして入手した本を自分のブースで読んでいた。完売していても来てくれて声をかけてくれる方もいてうれしかった。
17時に一般入場者が帰ると、主催者が放送で挨拶をして拍手が起こった。こういうのもいいものだと思った。
ひょんなことから同人誌即売会に出てみたが、なにしろひどい絵であり、時間に追われて雑になってしまった面もある。内容についても、ああすればよかった、あれは余計だったとくよくよしている。
しかし幸いにも耳に入る感想は身に余るものばかりであった。気が向いたらまた文フリに出店するかもしれない。そのときには今回売り切れた本を増刷するだろう。

それでは、よいお年を。

布団に入って見るタイプのストリップ

3月25日明け方の夢。

宴会ができるような座敷にいる。隣に紺縞の浴衣の踊り子さんが座っている。広い座敷の真ん中に二人きりだ。座卓はなく、座布団に座っている。踊り子さんが「ふたりで食べよ」と言ってゆで卵を剥いてくれている。血色がよく艶めかしい指を見つめる。前かがみになった衿元が緩んで乳首が見えた。衿に手を差し入れたくなる。
「悲しいことがあったの」と踊り子さんは言う。「よかったら話して」と返す。個人的なことを話してくれるのは嬉しいが、どんな話なのだろうかと緊張する。胸元に手を入れなくてよかったと思う。
(何を話してくれたかは記憶が無い)
(場面小転換)
座敷の灯りが薄暗い豆電球になっている。卵を向いてくれた踊り子さんは消えて、座敷には10組ほどの布団が並んで敷いてある。これからストリップが始まるのだ。私は布団に入ってうつ伏せになり、開演を待つ。私の枕の方に空間があり、ここがステージ代わりなのだ。他にも5、6人の客が布団から頭を出している。

 

☆☆☆

 

布団に入って見るストリップの夢は何度か見ている。

 

お財布買い替えました

お財布がボロボロになりました。
5年前に大宮の高島屋で買った二つ折革財布でした。

私は数年前まではスーツの時は長財布と二つ折り財布を使い分けていました。
お札を折ると金運が逃げるという説が流行っていた時期で、「デキる男は長財布」とも言われていたので、スーツの時は胸の内ポケットに長財布を入れていました。でも使いにくかったしべつにデキる男にはなりませんでした。首にオデキが出来ましたがね。
ここ数年で世の中も私の環境も大きく変わり、スーツなどは謝りに行く時くらいにしか着なくなり、長財布の出番も減りました。

ストリップに行く時には二つ折り財布と別の小銭入れを併用しています。踊り子さんの周年でもらった小銭入れです。
私の行く劇場は最小取引通貨単位が500円なので、500円玉を大量に入れるのに便利に使っています。二つ折り財布に500円玉はせいぜい2枚でしょう。大量の500円玉は財布を傷めてしまいます。

さて、と。

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これが約5年使っていた二つ折り財布です。
限りなく黒く見えますが、買ったときは紺色でした。
内貼りがチェック柄なのが特徴ですね。
アクアスキュータム?ブランド名が憶えられません。ブランドにこだわりはないのです。
このお財布を気に入った最も大きな理由は、小銭入れの中に隠しポケットがあることでした。ここに鍵を入れていました。この財布を使っている5年間、鍵を紛失したことはありません。
隠しポケットに鍵だけではなく、ヘビの抜け殻も入れていた時期がありました。
ヘビの抜け殻は金運アップのお守りですよ。
いつの間にか無くなってしまいましたが。

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小銭入れの内側の隠しポケットには小さなチャックがありましたが、去年の年末このチャックの摘まむ所がポロリと折れてしまった、このことがお財布を買い替えるきっかけになったのです。チャック以外にも傷んでいました。
糸がほつれていたし、小銭入れが変形して、底に穴が開いていました。まだ小銭が落ちるほどの大きさの穴ではありませんでしたが、穴は大きくなることはあっても小さくなることはないので、小銭が落ちるほどの大きさになるのは時間の問題でした。
金運以前に、お金が落ちる財布というのは財布として最悪です。

革製品と言うのは、使えば使うほど味が出るとか、エイジングをお楽しみください、とか言いますが、程々がいいですよ。キズが目だったりコバがほつれたりしたら見苦しいし、なんだか臭そうですから。そういう宣伝文句は男性向けが多いように思うのですがどうでしょうか。男のロマンってやつでしょうか。

まあ、財布に限らず革ジャンなんかも、使い始めは硬くて使いにくいので、半年くらい使って馴染んできたくらいが最もいい状態でしょうかね。
今は動物愛護の観点からあえてフェイクレザーの方がいいという方も増えてきました。私としては、食肉用の牛の革を利用しているのならかまわないのですが。
そいえばライカというドイツの高級カメラの貼り革は昔からフェイクレザーですね。


チャックの摘まむ所が折れたのは年末で、それからひと月ほど新しい財布の候補を探していました。まずはデパートでアクアスキュータムを見たのですが、外見は同じモデルでも小銭入れの中の隠しポケットが無くなっていました。手間のかかる細工はしなくなったのでしょうか。
他のブランドに隠しポケットがあるものがあるのではないかと、財布の小銭入れをパカパカと開けて見ましたが、隠しポケットがある物はありませんでした。なるべく丁寧にパカパカしていましたが、あまりにもパカパカするので店員さんに声をかけられましたよ。使っている財布の小銭入れを開いて見せ、「ほら、奥にポケットがあるでしょう。このように隠しポケットがあるものを探しているのです」と言いましたが、店員さんは売っている財布の小銭入れの中まで把握していない様子で、「へえ、そんなのがあるんですねぇ」と言われました。
革職人にオーダーすることも考えましたが、ネットで見たところ、革職人の作る財布は内貼りに布またはビニール素材を使うこともなく、ガチガチに革で作るので、ごつくぶ厚くなりがちのようです。それは私の好みではありませんし、小銭入れの中にチャック付きの隠しポケットという細かい細工をしてくれそうな職人は見当たりません。
もう、小銭入れの中に隠しポケットがある物を探すのはあきらめました。
仕切りのある小銭入れがあることを条件に探すことにしました。チャック付きのポケットよりも安心感は減りますが、仕切りで分割された一方に鍵を入れるのです。
隠しポケットがある二つ折り財布ならウン万円でも買うつもりでしたが、そうでないならそんなにお金は出せないのです。
あと、色は黒に決めました。こげ茶とか、今までの紺もいいのですが、気分的に今は黒がいいと思ったのです。20年くらい前、黄色い財布を買ったこともありました。「開運財布」というものでした。本当にご利益があったかどうかはわからないのですが、少なくとも、目立つ色なので、バッグの中ですぐわかるとか、置き忘れを防げるとか、現実的な効果はあるような気がします。
ネットで探すと、困ったことに、小銭入れに仕切りがあるかどうかさえ分からないものがけっこう出ているのには驚くやらあきれるやらです。みなさん、そんな細かいことは気にしないのでしょうか。
でも、しっかりと開けて中を見せた写真が載っているものから、小銭入れに仕切りがあって、デザインも悪くなさそうなものを選びました。東急ハンズと提携している商品ですが、東急ハンズの店頭にはもう在庫がないみたいです。店頭価格より数千円安くて、送料入れて1万円チョット。ぽちっとしました。
東急ハンズ、若い頃毎日のように通っていた池袋店が閉店してしまい、追い打ちをかけるようにカインズホームに買収されました。心配ですね。私が若い頃は洒落てて他にない物があって、本当に輝いていたんです。
俵万智さんの短歌を思い出します。
 大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買い物袋

ネットで買ったお財布は3日後に届きました。
財布は春に新調すると縁起がいいと言われていて、この場合の春とは正月のことかどうかは知りませんが、新春と言えば1月でしょう。

届いたのはぎりぎり1月でした。

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ジャーン!

ジャーンっていうほどでもないですね。まあまあ高級そうな箱に入っていました。ちょっと嬉しくなりますね。
こちらブランド名はダンテスカと読むのでしょうか。ダンテスカってナンデスカ?
「シンス1947フィレンツェ」とありますね。イタリア製ですかね。
「販売元 東急ハンズ」とあります。
カードポケットの差し色に紫色が使われています。
じつはネットで見た時には紫色が使われているとは知りませんでした。ちょっと好みではないです。箱も紫色なのでダンデスカ?のイメージカラーなんでしょう。
それより角がピンとしているのが気になります。すぐに傷みそうです。丸みをつけてあった方がよかったです。こんなことも買う前にパソコンをよく見ればわかったことなのですが、寝不足頭でえいやっと買ってしもたのですわ。
小銭入れは、仕切りが付いていて、どちらの部屋も同じくらい大きく開きます。鍵は奥に入れますが、ガバガバなので紛失しないか不安です。

古い財布から現金とカード類、それに鍵を移しかえました。するとパンパンで、二つ折りなのに開きぎみです。カードポケットもキツキツですが、そのうち柔らかくなって使いやすくなるでしょう。今までのお財布も最初はキツキツだったことを思い出しました。
3年くらいもってくれればよいのですが、どうでしょう。

 

 

おっパブに行ってきました!

おっパブとは何か?以前こんな記事を書いた。☞

おっパブとは? なにそれおいしいの!? 調べてみました! - がけぷっち世界

おっパブに興味津々ではあったが、結局おっパブに行かないまま2年半が経った。
その間コロナ禍が起こり、札幌・すすきのの「キャバクラ」で「女性従業員の乳房を介して感染が拡大」したという報道があった(ニュース番組で聞いたので笑ってしまった)。それって「おっパブ」じゃないの?と思ったが、地域によって呼び名が違うとのこと。すすきのでは「キャバクラ」が実質おっパブ相当の遊びができるらしい。そんなこともあって、おっパブに行こうという気がなくなっていた。
この秋からスーッと感染者が減り緊急事態宣言も解除された。おっパブに行くなら今でしょ!という気持ちが盛り上がった。
ネットで調べると、現在東京では「おっパブ」と名乗る店はほとんどなく、「セクキャバ」と言うらしいことが分かった。検索に引っかかるように「おっパブ」と併記しているところは多い。この事実を知って私はしょんぼりした。「おっパブ」という言葉の響きに惹かれていたのだ。
それはまあ、調べた結果セクキャバではあるがおっぱいに力を入れていると思われるある店に目星をつけた。

11月初旬のよく晴れた昼下がり、繁華街にあるその店に向かった。初回割引の画面をスマホにセットして、店の入っている雑居ビルの前を3往復くらいした後、狭いエレベーターに乗った。エレベーターの扉が開くとすぐにテケツだ。(指名じゃなくて)フリー40分のコースで初回割引料金を払った。40分で女の子が2~3回転するという。黒ベストの男性店員が早口でサービス内容と禁止事項を述べた。
まず案内された部屋はホールではなくて待合室だった。パブに待合室があるのはふつうなのだろうか。椅子が4~5人分置いてあるが先客はいない。同じ店員に「ドリンクは何になさいますか」と聞かれ、メニューにはビール、水割り、ウーロン茶くらいしかない。ビールを頼んだ。店員が洒落たグラスに注いだビールを持ってきた。この日店員はこの人しか見なかった。
「おっパブなう」などとツイートしビールを半分飲んだころに店員が来た。緑色のマウスウォッシュが入った小さい紙コップを差し出して、うがいをするように促された。待合室の片隅に洗面台でうがいをした。コロナ以前でもうがいは義務付けられていたのだろうか?

店員が暗幕のようなカーテンをまくり上げ、私はその中に入った。お化け屋敷のように薄暗い。二人掛けのソファが特急列車のように同じ方向を向いていて、座れば頭が隠れるていどの仕切りが付いている。私は一番出入り口に近い席に案内された。座ると仕切りによって影になりますます暗くなった。「女の子がきてから40分スタートします」と言って、店員がおしぼりと、待合室に置いてきた飲みかけのビールを持ってきて壁から突き出た小さいテーブルに置いた。「お荷物はこちらにお入れください」と言って店員がソファーの下からカゴを出した。パブなのでスマホをしまう必要はないのかもしれないが、ストリップでケータイをしまうことが身についているので、スマホをバッグにしまってカゴに入れた。
店員が行ってしまって一人になったここはネットで調べたときにはこの街で最大級の大きな有名店だと思っていたが、ずっと小さいようだ。一つか二つ間を開けたブースに一人別の客がいて、女の子の声と、やたらにテンションの高い男の声が聞こえてくる。男は頻りに「ヒャハハ、ヒャハハ」と上ずった笑い声を上げている。残ったビールに手を付けようと思ったが、一口で飲み干してしまいそうで、そうしたら飲むものが無くなってしまうので飲まずにいた。

「女の子入ります」という店員の声とともに、「こんにちはー」と明るい声の女の子が隣に座った。制服のシャツが青白く光っているが顔ははっきりしない。「○○でーす。よろしくー」と言いながら名刺を差し出してきた。受け取った名刺を名前が見えるようにテーブルに置いた。「今日暑くなってきたよねー」「そうだね」と相槌を打ちながらスカートから伸びる太ももに触れた。女の子は顔を寄せて顎を上げ吐息をついた。急に女の匂いがした。私は思わず顔を逸らせてしまった。その次の瞬間、それがキスを促す仕草だったということに気付いて、私から拒絶したようになってしまってしまったと思った。女の子はそれ以上キスを促すことはなかった。
女の子の胸に触れた。シャツの下には何もつけていないのが感触で分かった。
「いやー、おっパブって初めて来たんだよね」と言うと女の子が一瞬固まったような気がした。「あっ、おっパブじゃなくてセクキャバだね」と言い直すと、「そうだよ、セクキャバだよ」と返してきた。「おっパブ」とは言われたくないようだ。会話の中で女の子の名前を呼ぼうとしてテーブルの上の名刺を確認しようとしたが、暗くて読めない。名前を呼ぶのを諦めた。
 女の子の胸のボタンを外そうとしたがスマートに外せず、女の子に協力してもらって外した。すると「上に乗っていいですか?」と言うないなや女の子が跨ってきた。対面だった。鼻先におっぱいが迫った。「俺はストリップオジサンだ!おっぱいくらいなんでもないはずだ!」と自らに言い聞かせたが、少々動揺してしまったようだ。おっぱいに唇で触れた。だが、その先端を口に含むことは躊躇してしまった。戸惑いは隠せなかったようで、「すごーい、お客さんプルプルしてるよ。大丈夫?」と言われた。「あっ、いやっ、重いわけじゃないよ。いやー、普段運動しないからね、こういう時くらいプルプルって筋肉使った方が良いんだ」と、わけのわからない返事をしてしまった。もう一人の客の上ずったような笑い声が部屋に響く。なぜあんなに大きな声で笑うのだろう。俺は楽しんでいるんだ、ということを全力でアピールしているのだろうか。
「前向きに乗ってくれないかい?」と言うと、女の子は向きを変えてくれた。緊張感から解放されて息をついた。顔は見えないがどうせ暗くてよく見えないのだ。後ろから手を回す。女の子の体重を感じるのもなかなか心地いいものだ。店内には乃木坂の「泥だらけ」が流れていた。胸を揉む手の動きが曲のリズムとシンクロしてしまった。ふと、キスをせず、後ろを向かせたことを、女の子はどう思っているのだろうか、と不安になった。
店員が女の子の肩を叩いた。時間のようだった。「じゃあね。他の子が来るまでちょっと待っててね」と言って女の子は膝から降り、ボタンをとめた。いくらか目が慣れてきていて、顔立ちが分かった。丸顔のかわいい子だった。

一人になって残ったビールを飲み干した。何分経ったのか分からない。時間を測っていなかったし、タイマーも何も付いていないアナログ時計は、針に薄く蛍光塗料が塗られているものの、とっくに役に立っていない。さっきの子で30分以上経った気がする。もう一人の客の笑い声が止んで何か喋っている。しばらくして、次の女の子がやってきた。どうやら、客二人、女の子二人で、入れ違いらしい。今度は細面の子だった。やはり名刺をもらった。名前をしっかりと頭に入れてテーブルに置いた。
「セクキャバ、初めて来たんだよ」と言うと「私も入ったばかり。出勤が3回目」。白いシャツの上から胸に触ると、女の子が自分でボタンを外し胸を出す。目が慣れてきているとはいえ、やはり見て楽しむには暗すぎる。「今まで10数人お客さんに付いたんだけど、下半身を出しちゃうお客さんがいて、しまってくださいって言ったらしまってくれた」「うん」「自分の胸を出しちゃうお客さんも多くて、それって禁止なのか微妙で」「お店の人は見て見ぬふり?」「そう。胸を出すお客さんは絶対俺の乳首を舐めてって言う」「そりゃ嫌だね」「ムリって言っても、『えー、○○ちゃんの乳首舐めてあげたじゃん。だから、お返しに、ね』って」「うわあ。そもそもお返しになってねえ」などと会話が弾んんだ。が、初対面で愚痴を聞かされているわけで、つまりこの子はプロ意識が低いとも言えるのだろうが、私としてはさっきの子よりも心理的距離が近く感じるし、なにより会話が途切れないのがよい。もしかしたら、不埒なことをさせないように牽制するというテクニックなのかもしれない。
さあ膝に乗ってもらおうかと思ったら店員が女の子の方をポンと叩いて「お時間です」と言った。女の子はボタンを留めて行ってしまった。

「延長なさいますか?」と店員に聞かれた。「いや、結構です」と言うと店員は去った。暗い中、ソファの下から荷物を出し、暗幕のようなカーテンを自ら開けて待合室に出た。
1人目が長すぎたので2人目が短かったのだ。40分2~3回転となっていたが、2回転だった。待合室には誰もいなかった。テケツにも誰もいなかった。料金は前金だったので支障はない。無言でエレベーターで降りた。日の光が眩しかった。

おっパブはとにかく暗かった。肌の色つやもわからないのは辛かった。「ヌキ」が無いということではストリップと共通しているが、正反対だと言える。ストリップは基本視覚情報だけで楽しむものである。視覚情報に乏しい代わりに、触覚、肌感覚で楽しむ所なのだろう。普段ストリップに通っているので、視覚情報で楽しむことに慣れ過ぎているのだ。ストリップはなんて光に溢れているのだろうと改めて思った。

 

☆☆☆☆☆

 

小生、ついにおっパブに行ってきましたぞー!まず出てきたのは童顔小柄な○○チャン。おおっ、小生のタイプじゃあないですかぁー!ちょっとした会話をした後、制服の胸のボタンを…ジャーン!コンニチワー!わぁぉーっ♥

初めは、このような典型的な「風俗レポート」のテンションで書こうとしていたがあきらめた。

ストリップ劇場は風営法で「性風俗関連特殊営業」に規定されている。こちらは狭義のいわゆる「フーゾク」である。一方「フーゾク」に限りなく近いと感じるおっパブはの「風俗営業」に規定され「接待を伴う飲食店」に分類されている。あくまでも飲食店なのである。日本はおっぱいには寛容で、下半身となると厳しい。現に私も「おっぱい」とは書いても「下半身」とぼやかした言い方をしてしまう。
風営法」とは「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」の略称である。なぜか麻雀屋やパチンコ店の話題においては、同法を「風適法」と略すことが多いようだ。

荷風とストリップ

永井荷風は『墨東綺譚』しか読んだことがない。だが、荷風の作品よりも荷風のキャラクターに興味を持ち、荷風についての図説本や、街歩き雑誌の荷風特集をよく読んでいた。
十数年ほど前、まだわずかに残っている赤線地帯だった面影を求めて、荷風が通っていた旧玉の井界隈を歩き回った時期がある。角が丸い庇、艶やかな色を残した豆タイル、凝った意匠の手すりなどに心躍った。もっとも、荷風玉の井に通っていたのは戦前のこと。東京大空襲で界隈はほとんど焼失している。私が見ていた赤線の名残は、ほとんど戦後の物であろう。東日本大震災のあと急速に、そのような建物もだいぶ建て替えが進み、東武線の高架から見えていた特徴のある建物もいつの間にか無くなってしまった。

戦後の荷風は浅草のストリップに通っていた。蝙蝠傘と全財産を入れた小さな鞄を持ち、細い目をさらに細めてニコニコしているのにわずかに寂し気な雰囲気をまとって街を歩く荷風の写真がたくさん残っている。楽屋で踊り子さんたちに囲まれて、照れたような笑顔を見せている写真もある。そんな荷風に親しみを感じていた。「荷風先生、いい趣味してるね」と思った。私自身ストリップに通い出したころは、荷風もストリップに通っていたということを意識して、内心、文化人をきどってみたりしていた。
ところが、ストリップに深くはまるにつれて、私の荷風に対する気持ちが変わってしまった。楽屋にいる写真を見ると、スケベおやじがにやついていると感じてしまう。荷風は著名な文化人、それに今とは時代も違う。それはわかった上でだが、楽屋に上がりこんで裸の踊り子さんたちにちやほやされているオヤジが憎たらしくなってしまったのである。

 

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コロナ禍、公共のトイレに望むこと

コロナの流行が始まってから約一年。
今、東京は二度目の緊急事態宣言下にあるが、慣れてきてしまったのか、消毒用アルコールを置いていても消毒しない人が多くなった。
コロナは目に見えない故に、警戒の仕方が人それぞれ違っている。科学的には問題ないことに神経を使う一方で、警戒しなくてはいけないことに無頓着であったり。いくら気をつけていても感染するかもしれないし、無頓着でも感染しないかもしれない。これは確率論だ。だからこそ、私も感染の確率は減らそうとは努力しているが、ちぐはぐなところはあると自覚している。
コロナ以前から、私は潔癖気味のところがあり、土足で歩く地面に直接座ったり、カバンなどを置くことをためらう。また、トイレで用を済ませた後は必ず手を洗う。

トイレはコロナの感染源の一つであろう。コロナが流行りだしてからは、なるべくなら外出先で大便をしたくない。だが、便意はそうそうコントロールできるものではない。
なるべくきれいなトイレを使いたい。都会ならデパートのトイレをよく使う。トイレを使ったらお買い物もする。
テレビなどでも呼びかけているが、トイレを流すときは、飛散防止のために便器に蓋をすることが望ましい。ただ、デパートに限らずだが、公共の場のトイレには蓋がないことが多い。このごろは初めから蓋がない便器がある。蓋が割られてしまうことが多いからだろうか。しかしコロナを機に、ぜひとも蓋をつけてほしい。
トイレを出たら必ず手洗いをする。駅のトイレは石鹸がないことが多かったが、コロナ以降は備え付ける所が増えたのはありがたい。しかし、蛇口が短かったり、手洗いボウルが浅かったりで、ボウルに触れずにじゃぶじゃぶ手を洗うことがむずかしいことが多く、そういうトイレでは指先をコチョコチョと濡らしただけで出ていく人も多い。新しい施設のトイレでもボウルが小さいことが多い。デザイン優先で、まるで小洒落たレストランのパスタ皿みたいな手洗いボウルがけっこうあるのだ。今後はゆったりとしたボウルにしてほしい。
手を洗ってから出るときのドアも問題だ。どこでも押せば開く扉ならまだよいが、把手に触れなければ開かないドアは困る。排泄の後、皆が皆手を洗うとは限らず、洗ったとしてもタオルやハンカチを持たず、またコロナ後エアタオルが使えなくなっているところも多く(エアタオル使用中止は良いことだが)、濡れた手で把手を触る者も多い。今後は手を洗った後ドアの把手に触れないで済む設計が望まれる。

昔はドアの把手やエレベーターのボタンなど、手の触れる所は真鍮製が多かった。真鍮はそれ自体に抗菌作用がある。抗菌を目的に真鍮を使用したのかどうかはわからない。さらにコロナにも効果があるのかどうかもわからないが。そもそもコロナはウィルスであって菌ではないし。
アルコール消毒よりも石鹸を使った手洗いの方がコロナの感染防止には有効らしい。トイレの後、手を洗わずにアルコール消毒で済ますのはよくない。

 

 

お正月のある日

あけましておめでとうございます。

といっても、もう1月13日だ。
コロナ禍(と、それによって明るみになる、人の、組織の、狂っているとしか言いようのない態様に、僅かながらにでも持っていたからこその怒りを抱き、しかし自分もまたその中の一人であり、自分が狂っていないとは確証は持てない)のさ中、「何がおめでとうだ!めでたくなんかないよ!」と叫びたい気持ちもチラリと脳裡をよぎる。

それでも、劇場で、あるいはSNSで、踊り子さんに「あけましておめでとう」と言い合える日々は、きっと幸せなのだろう。
幸せとは。
私は軽い依頼をするときの文章には「~していただけたら幸いです」と書くことが多いのだが、くまさんが「幸いです」とよく書くのは、教会に通っていたからでは?と言われたことがあった。確かに、説教ではよく「幸いである」と言うが、教会に行っていたから使うようになったのかどうかはわからない。私は親の影響でカトリック教会に行っていた。聖書は今でも繰り返し読んで何冊かボロボロにしたが、読み過ぎたせいか「作品」として興味が湧いてしまい、洗礼は受けていない。だが、信者よりも信者に見えるらしく、「えっ、ノンクリだったの?」と驚かれることがある。ノンクリとは、クリ(スチャン)ではないということだ。
「幸いです」は宗教とは無関係に、柔らかく聞こえるだろうと思ってよく使っているのだが、ビジネスでは「お前の気持ちなんか関係ない」と思われる方もいるので、最近は気心が知れないうちは使わないようにした。
どういうわけか話がかみ合わないな、と思っていた相手に、「どうしてくまさんはいつもつらいと言うの?」と言われて、どうやら「さいわいです」を「つらいです」と読んでいたらしい。「辛い」と「幸い」は似ている。ついでに、「つらい」と「からい」は漢字にすると同じだ。
ところで、私にはヒョウとジャガーの違いがわからない。

去年4月にブログに政府のコロナ対策について書いた。筆が滑って極端な言い方になってしまったところもあるが、今読み返しても消去や訂正するほどの間違いは無いし、今でも考えに変わりはない。
昨日と今日は家にいた。二度目の緊急事態宣言のもと、週に5日出勤するところを2、3回に減らしている。リモートワークと言えばリモート会議みたいな風潮である。私には、生で動画を配信するような機材もネット環境も、また知識もなく、実際は一番ないのは生で顔を配信する気なのだ。またそんなことをやろうというような洒落た職場でもなく、電話、FAX、eメール、郵送といった古い文明でなんとかなっている。約一年のコロナ生活のうちに身に付いたウラ技もある。書類を郵送する際に三文判のようなものを入れておいて、「ご確認の上、同封の印を押してください」という、厳密に考えたらいけないことをしているが、コロナだから仕方ないよね…と思いつつ。

寒い日が続いているが、少しは暖かい昼下がり、歩きで買い物に出た。コンビニのコピー機で、ある踊り子さんのZineを受け取った。劇場ではなくて、こうして家の近くで受け取るというのも不思議な気分だ。コピー機を操作して、僅かなお金を入れると、踊り子さんの書いた文章が印刷されたA4用紙一枚が出てくる。ほんの少し、手間と時間とお金がかかるが、それがいい。スマホの画面で見るテキストじゃなくて、紙。ほんの少しの物質感。これもいい。
Zine、最近よく見る言葉だが、馴染みが薄い。マガジン、同人、のジン、らしい。私世代はジンと言えば「ジンジンジン コーラとジンでアメリカ人、ジュースとジンでフランス人…」という森高千里の歌声が甦る。
速達を出し、スーパーでミカンと弁当を買い、家に帰るともう部屋がとっぷりと暗くなっている。
お茶を沸かし、ミカンを食べ食べ、Zineを読む。年末の日常が綴られていて、所々ふふっ…となる。知らなければこれを書いたのが踊り子さんだとはわからないな。ふと、自分がブログをひと月以上更新していなかったことに気付いた。テレビでは、虚ろな顔をした老人がボソボソと他人事のように、非常事態宣言の地域拡大について会見をしている。